一度きりの人生、やりたいことに忠実に生きようあなた色の自由なライフスタイル、あなただけのオリジナルな人生、あなたが最も輝ける生き方を、僕は『虹色ライフ』と呼んでいる。 その理由を説明するために、インターネット上に掲載されていた『虹色』の検索結果の一部を以下に抜粋してみる。 「現在の日本における考え方では虹の色の数は一般的に7色であり…」 「虹の色の数が何色に見えるのかは科学の問題ではなく文化の問題で…」 「色の数が何色に見えるかではなく何色と見るかということでもある」 「虹はさまざまな色を含みはするが各色の間に特に明確な境界はない」 これらを僕なりに強引に解釈すると、「虹の色は無数にある」ということになる。中には似たような色もあれば、まったくもって似ても似つかない色もあり様々だ。 同じように、世の中には人の数だけ、色とりどりの生き方があるべきだと僕は思っている。 だから、型にはまることのないオンリーワンな虹色ライフを、ぜひあなたにも構築してほしい。あなたに何かしら夢や目標があるのならば、年齢や世間体なんかに引け目を感じる必要は一切ない。ぜひ追いかけ続けてほしい。これから先の人生、あなたらしく輝き続けて生きていってほしい。 実際に僕はこれまで、自分が本当に歩みたい人生を妥協なく歩んできた。たくさんの失敗も経験したが、そこには1ミリたりとも後悔はない。 ここで、僕の大学時代の話を1つしておきたいと思う。卒業後はプロボクサーとして生きる決意と覚悟を固めていた大学4年生の時の話だ。 大学4年生ともなると、同期の人間たちは卒業後の就職先を決めるために、慌ただしく鋭意就活真っ只中。 そんな中、揺るぎない覚悟と信念を掲げ、プロボクシングの世界に挑戦すべく、僕はサクッと就職活動を放棄した。 すると僕を取り囲む同期の人間たちは、ほぼ例外なく怪訝な表情を浮かべた。もげ落ちてしまうのではないかと、こちらが心配になってしまうほどに首をかしげていた。 同期の人間たちは、「就職する」という選択こそが唯一の正義だと考えているようだった。周囲とは異なる人生を選択することに対し、尋常ではないリスクを感じてしまうようだった。自分のやりたいことに忠実な生き方ではなく、その他大勢と同じように生きることを選択することで安心しきっていた。 僕とは価値観がまるで違っていた。僕は圧倒的マイノリティ。僕にとって一番のリスクは、謳歌するために用意された、たった一度きりの僕のための人生を棒に振って生きてしまうことだったから。 でもそんな考えをもつ人間は、僕の周りにはいなかった。 だからそんな僕を嘲笑うかのように、同期の人間たちの何人かがポツリと僕に小声で囁いた。 「お前は何も考えていないんだな」 でもそれは違う。 僕は本気で自分の人生と向き合って、真剣にこの先を考え抜いたからこそ、プロボクサーとして生きる道を選択したのだ。僕が本当に何も考えていなかったのであれば、僕は何の迷いもなく普通に就職の道を選択していたはずだ。そう、普通に。 もし当時の僕が、周りの流れに乗っかって、何も考えずに就職をしていたら…。想像しただけで恐ろしい。 人生を懸けて本気で挑戦したいプロボクシングの世界に身を投じて生きる道を諦めて、その代わりとして、社畜よろしく会社組織に命を捧げ、休日を返上してアクセク働き、生産性の一切ない説教と愚痴ばかりの飲み会に参加し、イエスマンとして老いていくなんて、僕にとっては命を絶つも同然だったから。 日本人の多くは、周囲と同じであることで安心する。みんなが就職活動をするから、自分も同じように就職活動をして安心するのだ。 でも僕は、人生の岐路に立つたびに、自分の人生が最も輝き自分が一番幸せであろう道を都度選択して生きてきた。 僕のような圧倒的マイノリティは圧倒的マイノリティを呼ぶ。だから僕の周りに集まる友人や先輩後輩たちは、同じような価値観の人たちばかりになっていった。アルバイトやパート、あるいは派遣社員として働きつつ、役者、ミュージシャン、芸人、総合格闘家、映画監督、漫画家…と、多種多様の様々な分野において目標に向かって大爆走している人たちばかり。 彼らや彼女らは、就職している人間たちと比較すると、確かに収入の安定こそないかもしれない。 しかし、どうひいき目に見ても、決して不幸なんかには映らない。それどころかむしろ、生き甲斐溢れる日々の生活は心底イキイキと輝いて見える。 まるで翼を奪われてしまった鳥のように、魂を吸いとられたような目をしながら、空気のこもった満員電車に揺られ出社し、何の生き甲斐もなくただただ日々のルーチンワークをこなしている、よくありがちなサラリーマンたちと比較して、果たしてどちらが幸せだろうか? 僕の提唱する『虹色ライフ』は、心底渇望しているライフスタイルがあるにもかかわらず、そのための大切な時間を犠牲にして、生活のために本意ではないアルバイトやパート、派遣社員での収入に頼って生活しているような人たちにこそ構築してほしいライフスタイルなのだ。 言うなれば、本来輝くべき人たちにこそ描いてほしいライフスタイル。先ほど紹介した僕の友人や先輩後輩のような人たちにこそだ。 アルバイトやパート、派遣社員での収入に頼らずとも、日常生活を送ることに支障のないだけの収入が自動的に得られれば、本来やりたいことだけに全ての時間を捧げられる。 自分のすべてを捧げてやり遂げたいことに、一心不乱に挑戦できさえすれば、結果如何にかかわらず、きっと納得できる人生を送れるに違いないはずだ。 常に挑戦を繰り返して生きてきた僕には、挑戦者たちの気持ちが痛いほど理解できる。だから挑戦者たちにはとにかく悔いを残してほしくない。挑戦者たちにとっては「やりきった」という、自身で納得できる気持ちこそが一番大切なのだ。 実際に、プロボクサー時代の僕にも、同じようなジレンマがあった。 試合が近付くと、「命を削る作業」と言っても過言ではない過酷な減量が始まる。その上、自身の精神と肉体を追い込んで少しでも限界を広げるべく、ハードワークをこなしていく。その最中は心ここにあらず。まさに疲労困憊状態だ。 にもかかわらず、「生活のために仕方なし」と、毎試合毎試合、試合本番前々日までのアルバイト生活を余儀なくされていた。 「もっと本業のボクシングだけに集中したい」 「もっと十分な休養をとって万全な状態で試合に挑みたい」 僕は試合のたびにそう思っていた。 虹色ライフを当時の僕が構築できていたならば、僕はどれほど救われていたことだろう。 もしあなたが現在、人生において本当にやりたいことに対して「やりきることができていない」状態であれば、同じような気持ちのはずだ。 しかし虹色ライフ構築の実力が備わっていれば、自身の歩みたい人生だけにとことん没頭できるようになる。 また、そもそもの話、年齢や世間体を理由に夢を諦めるような必要は1ミリもなくなる。 もちろん、たいそれた夢や目標なんかではなくても構わない。 あなたがもし旅行が好きであれば、パソコンを片手に好きに旅立てる。 あなたの趣味がグルメだとしたら、値段を気にする必要もなく、一番好きなものを選べばいい。 大切な家族たちとのイベント等が、仕事の犠牲になって消え去ってしまうようなことなんてなくなる。 そんな小さな幸せの積み重ねが、人生規模で心から笑顔になれるような大きな幸せへと導いてくれるはずだ。 そして、あなたをその大きな幸せに導くことが僕の役目でもある。 誤解を恐れずに言わせていただく。僕は自分のエゴイズムで現在のビジネス活動を行っている。ライフデザインコンサルタントとして、あなたを大きな幸せに導く活動だ。 プロボクシング界を引退後、次の生き方を模作していた僕は、自身の人生の信念を改めて自らに問い、そして1つの答えを出した。 「この世に生きた証がほしい」 それが僕のエゴイズムとも言える1つのテーマだ。 僕が生きたことを証明できるのは、僕に関わった人たちだけだ。僕がこの世を去るときに、果たしてどれだけの人たちが、僕との別れを惜しんでくれるだろうか?それこそが、僕がこの世界に残した価値のバロメーターだと考えている。裏を返せば、僕を取り囲む人たちが僕に対して抱く感謝の量だと言えるはずだ。 僕はたくさんの「ありがとう」に囲まれながら生きていきたい。いつ日かこの世を去るときが訪れても、やり残しなく笑っていたい。そんな人生を送れたら僕は最高に幸せだと思っている。 言うなれば、それこそが僕自身が描く虹色ライフなのだ。 「人生に絶対はない」なんてよく耳にするが、万人が必ず経験することが1つだけある。 それは人は必ず死を迎えるということ。 僕は、笑って死ぬために生きている。死ぬ時にやり残しなく笑っていたい。 その領域を目指すのが、僕にとって「生きる」ということなのだ。 僕は人生において一番大切なものは『体験』だと思っている。一度きりの人生、死ぬ時にあの世に持っていけるものは人生で体験したことや感動したことしかない。 自由に使えるお金も時間も、全ては『体験』のために欠かせない必要ツールなのだ。 僕はあなたが、虹色ライフを構築し、あなた色の人生を歩むことで、心から笑える人生を送ることができるよう本気で応援したい。 人は自らの人生を謳歌するためにこの世に生を受けたはずだ。 しかしながら多くの人たちは、自分のやりたいことを我慢する生活のために、やりたくないことをして稼いでいる。それはもはや、自らの人生を他者に委ねて生きているとも言えるだろう。 その一方で、僕は自分のやりたいことをして生きるために、自動化した仕組みで稼いでいる。自らの人生を自ら選択して生きているのだ。 もちろん、仕組みを完成させるまでは、来る日も来る日も猛勉強を重ね、頭を悩ませながら実践と検証を繰り返し、幾多の失敗も経験しながら、データを元に精度を高めていった。 ある程度の成果を出すことができるようになるまでの一時期は、それこそ、ブラック企業の社員なんか目じゃない勢いで働くが如く、1日2時間ほどしか確保していなかった睡眠時間すらも惜しむ思いで、夢中になって取り組んだ。 ただし、企業戦士たちと僕との間には大きな相違点があった。 僕の場合、自分の未来に大きな希望しか抱いていなかったので、当時の生活は別段苦ではなかったのだ。 むしろ、自らの意志で自分の人生を切り開いている実感を抱くことができていた点では、幸せですらあったとも言える。 なので言うまでもないが、その一時期すらも頑張れないという場合は、当然収入を得ようがなく、雇われて生きたほうが無難だし安心だろう。定年退職までじっと耐え忍ぶことができれば、晴れて退職金とヨボヨボの自由は手に入る。 しかし僕は、若さと未知なる可能性を秘めた今すぐに、手を伸ばせば届くであろう虹色ライフという素敵な未来を本気で望んだから、情報を仕入れ戦略を学んだ。その学びを行動へ移していく内に、近い将来には虹色ライフを実現できているであろう自分を明確にイメージできたから、歩みを止めることなく前進できた。 あなたは現状の生き方のままで、素敵な未来がやってくることを明確にイメージできるだろうか? もしその答えが「NO」であれば、人生の一時期だけを捧げて、インターネット上への自動化の仕組み構築に向けて、没頭して取り組んでみてはどうだろう? 自分のやりたいことを我慢する生活のために、やりたくないことをして稼ぐのではなく、どうせ頑張るのであれば、近い将来に自分のやりたいことだけをして生きるために、インターネット上への自動収入の仕組み構築へ向けて頑張るほうが、遥かに健全だし生産的だろう。 今一度自分自身に問いかけてみてほしい。 あなたは何のためにこの世に生を受け、そして何のために生きているのだろうか? 人間は誰しもが幸せになる権利をもって生きている。 だから僕は、これからも自分が思った通りに生きる。生きた通りに思う人生なんて絶対にごめんだ。 『豊かな収入』と『ゆとりある時間』と『ネット環境』、この3つを手にできれば、やりたいことの9割は叶えることができる恵まれた時代を僕たちは生きているのだから。 |