資本主義社会で掴む自由


先日、実に幼少期以来となる懐かしの旧友と再会し、お酒を交わした。その友人は昔から頭が良く、高校・大学と、いわゆる高偏差値の学歴を引っ提げ、誰もが知る某一流大手企業に入社しエリート街道を突っ走っている。

だが、その酒の席で彼は言った。

「職場の雰囲気なんて、良いとか悪いとかさえも無いようなもんだよ。みんなノルマノルマで追われた目してさ。出世するにしたって、どんだけ会社に貢献したところで、査定には一切関係ないからね。如何に上司の機嫌を取って気に入られるか、それが全てだよ。そのためだけに俺らは毎日命かけてるからね」

『雇われて生きる』ということを知れば知るほど、僕は現実を理解していった。



個性の欠片もない汗の染み付いた定番のスーツを身にまとい、犬のリードを彷彿させるようなネクタイを締め、生きる時刻表ばりに決まった時間に出勤し、芸を忠実にこなすチンパンジーの如く日々のルーチンワークをこなし、チャイムと同時に昼食を食べ、再び午後から始まる地獄に備えてあたふたと一服し、また理不尽な環境で働きながら笑顔を忘れ、帰宅後のビールだけを楽しみに憔悴した顔の並ぶ電車に揺られて帰宅し、翌日の地獄に備えて早々に床に就く。

そんな生活を年老いるまで繰り返して生きているような人が、日本には本当に多く存在している。定年退職するまで我慢して受け入れ、やりたいことを諦めながら、じっと堪え忍べば、ご褒美にあの世へ旅立つ前の20〜30年くらいは、ヨボヨボの自由は訪れるかもしれない。

しかし僕は思う。生きるということはこういうことなのだろうか?

そんな生き方が常識とされている日本では、僕のように「一度きりの人生を自分の生きたいように送る」なんて考えを持つ人間は、圧倒的マイノリティだ。



とはいえ、そんな肩身の狭い状況下でも、たった1つだけ、僕ら少数派が大手を振って虹色ライフを謳歌する方法は存在する。

それは、会社に頼らず自力で生きる力を身に付けることだ。資本主義社会では自由な身分は自力で掴むことができる。

もちろんあなたにもできる。あなたが豊かに生きていけるだけの収入を自力で確保できれば、あなたの前から理不尽な支配者は消える。一切の束縛が消え失せるのだ。



お金を追い求めることは、金の亡者になるわけではない。金の亡者であることを止めるために、お金を追い求めるのだ。金の亡者にならないよう、収入の自由を得る必要があるのだ。

日本では、お金をいやらしいもの、薄汚れたものだと見る節があるが、そんな人の行動基準こそ、「金。金。金。」ではないだろうか?

「生活のためにもっと仕事しなきゃ!」

「ちぇっ、ボーナス減っちゃったよ!」

「なんだよ、給料全然上がんねぇじゃん!」

「やっぱ安定した仕事じゃなきゃね!」

「将来、年金ってホントに貰えんの?」

「昇給に向けて資格とらなきゃ!」

「貯金が全然増えなくて将来が不安だよ!」

「今月、友人の結婚式で出費が痛いな!」

「こんな高いもん買えねぇよ!」

「ランチなんかに金かけたくないね!」

衣食住に始まり趣味に到るまで…滅多に会えない友人との会食、大切な人へのプレゼント、結婚式、引いては親族の葬儀…。その度に、財布と相談しなければならないなんて…。

家族、幸福、健康と引き換えにしてでも、仕事と貯金に励んでいる日本の多くの人が、収入、時間、場所の自由を得た人間に対して「金の亡者!」「拝金主義者!」などと罵り叫んでいる様は、滑稽以外のなにものでもない。



豊かで自由な虹色ライフを送ることが目標なら、給料を高める努力より、給料じゃない収入を確立する努力をしたほうが、よほど楽で堅実で賢い選択だろう。

給料はしょせん給料なのだ。会社の規則やお客さんの都合に人生の大部分が束縛されるし、時間の自由も利かないので好きな時に好きなことなんてできないし、付き合う相手もまず選べない。

給料の世界で奮闘している限り、どれだけ頑張ったところで、たどり着けるのは小金持ちまで。どんな良い大学を出ていたって、年収が億を超えるような人はなかなか存在しないのではないだろうか。仮にそのような人が存在していたとしても、働かないと収入が発生しないので、老年まで仕事に支配される日々は続く。

しかし給料以外の部分で大きな収入が発生するようになれば、ほとんどの時間をあなたの支配下に置くことができる。そうなると、お金を気にせずに好きな趣味や仕事に打ち込むことができるわけだ。

また、体力的・時間的な収入の上限がないので、まさに青天井。だから、いくつも収入源を作ってリスクを極限まで減らすことができる。

そして間違いなく、給料を上げるよりこちらのほうが簡単だ。半年や1年で医者や弁護士になれる人はいないが、同様の期間で月100万円や月200万円を稼ぎ出す人は珍しくない。



給料が関係ない世界へ行くためには、お金に働かせる、社員に働かせる、不動産に働かせる、仕組みに働かせる…等々、自分の労働以外の部分で収入を発生させる必要がある。給料を増やすために残業をするとか、資格を取るとか、出世を目指すとか…そのような行為はもってのほかだ。そうやって若くして自由になった人なんていない。

もしあなたが忙しい小金持ちではなく、お金にも時間にも縛られない虹色ライフを手に入れたいなのらば、「給料を上げる努力」からは手を切り、その代わり「給料とは関係のない収入を増やす努力」を始めよう。

給料とは関係のない収入があなたの生活費を上回った時、あなたは晴れてお金のための労働から解放される。




記念日に家族や恋人を喜ばせたいと思ったら、最高の時間や最高の物をプレゼントしたいはずだ。虹色ライフを構築できれば、場所も時間も自由なので、長期の海外旅行だってプレゼントできる。

24時間365日、全部があなたのための時間なのだ。



お金のことなんか頭に置かず、趣味に没頭しても構わない。

逆に、お金を投じて、でっかい企画を成し遂げても構わない。

40歳や50歳になろうが、命尽きるまでバンド活動をやっても構わない。

ひたすら絵だけを描き続けて、個展を開いても構わない。

演劇漬けの生活で、舞台に生きても構わない。

漫画家や小説家に人生を見出しても構わない。

何歳になっていようが、専門学校や大学に通っても構わない。

毎日引きこもってゲームだけやっていても構わない。

お金で解決できるような身体的コンプレックスがあるのならば、とっとと解決してしまっても構わない。



もちろんライフスタイルも自由だ。

寝たい時に眠り、起きたい時に起き、食べたい時に食べるようなストレスフリーのライフスタイルで、かつ、体調が良好なのならば、そんな生活習慣が一番健康だと個人的には思っている。

南国リゾートに住んでも、東京のタワーマンションに住んでも、田舎暮しをしても構わない。

趣味が高じて、プライベート図書館を作っても、プライベートBarを作っても、プライベート映画館を作っても、プライベートスタジオを作っても構わない。

大切な親友が本当にお金に困っていたら、何も言わずにポンと渡してあげても構わない。



世の中の多くの人が信じこむ常識や枠の中で生きていく必要なんて1ミリもない。

この世には無限の選択肢がある。他人に迷惑さえかけなければ、あなたは自由に生きて構わないのだ。

そのためには何よりもまず、あなたが自立する必要がある。ご主人様に奉仕して皿に餌を盛ってもらうのではなく、自ら野に出て食料を調達する術を身に付けなければならない。



「来る日も来る日も試行錯誤を重ね、初めて自力で得た100円の収益」

この成果に対し、「あれだけ頑張ってたった100円か…」と思ってしまうような人は、雇われて働くほうが向いているのかもしれない。自分の時間と労働力を売って賃金を得るという雇われ労働者の価値観のままでは、ビジネスでの成功は難しいからだ。

しかしそうではなく、このゼロイチに心底喜びを感じられるような人は、ビジネスの実力が確実に伸びていくはずだ。提供する価値にレバレッジをかけていくことで、加速度的にどんどん収益を膨らませていけるだろう。



もちろん、自分のビジネスを立ち上げて、晴れて大きな収益を得ることに成功できたとしても、それが一過性のものであっては意味がない。インターネットビジネス業界では、ちょっとした裏技的手法を見つけ出したり、先行者利益を得たりして、図らずも莫大なお金を短期間で稼いでしまうような人がいる。

しかし、インターネットの世界は、リアルの世界とは比較にならないスピードで、常識やルールが変わったり、新サービスが現れたりする。当初はいくら画期的なノウハウであったとしても、1、2年後には古臭い手法として見向きもされなくなるようなことが往々にして起こるのだ。

このような変化の激しい世界で、5年も10年も稼ぎ続けるということは、一時的に1,000万円を稼ぐことなんかよりも遥かに難しい。

なので、時流に乗って運よく稼げただけの人は、まるで一発屋芸人のように、一時期だけ華やかな時を経て、急速に表舞台から撤退していく。



覚えておいてほしい。一発屋に虹色ライフは絶対に訪れない。なぜなら一発屋では『精神的自由』が得られないからだ。

確かに短期的には経済的・時間的自由度は高まるかもしれない。しかし今度は、収入を失うリスクに精神を支配されてしまう。

もちろん一気に駆け抜けて、10億円、20億円と、一生豊かに暮らしていけるような資産をドカンと築くことができれば、それはそれで安心は手に入るかもしれない。だが、富裕層に厳しい日本の税制の中で、それだけの資産を築くのは生半可なことではない。よほどの覚悟、能力、運が必要になる。



あなたが一発屋になってしまわないためには、『お金を生み出すスキル』を所有する必要がある。いつでもお金を生み出すことができる普遍的なスキルだ。

そのスキルを身に付ければ、打ち出の小槌を手にしているようなもの。しかもそれらのスキルは、環境の変化や時間の経過によって、すぐに通用しなくなってしまったりはしない。

このスキルを身に付けることで、晴れて精神的自由を手に入れることができるのだ。

お金に直結するスキル、市場から必要とされるスキルを手に入れるということは、資本主義社会においては、ある意味最強の安全保障の1つだ。

もちろんそのようなスキルを身に付けるには苦労も伴うが、得られるものの大きさを考えれば、頑張ってみる価値は大いにあるはずだ。僕だって最初からそんなスキルを持っていたわけではなく、一時期だけ全神経を集中して、寝食を忘れて猛勉強し、気でも狂ったかのように実践を繰り返すことで血肉化してきた。

あなたも一生もののこのスキルを会得して、生涯に渡る虹色ライフを設計してみてはどうだろう。




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