仕事 vs プライベート


インターネットビジネス業界への参入当初、僕が抱いていたこの業界の魅力は、もっぱら『お金』だった。インターネット上には、景気の良い情報が次から次へと流れていたからだ。

「片手間で簡単にドカンと!」

当初は僕もそんなキャッチコピーに群がるバカな人間だった。

すぐに目を覚まして錬金術的な情報を全て遮断したところ、程なくして運良くあるホンモノの教材に出会い、思考を重ねながら実践を繰り返していくと、ポツポツと報酬が上がるようになった。その嬉しさから、寝食を忘れて作業に没頭し、それに伴い成果もどんどん膨らんでいった。



しかし、ある時ふと気付いた。

「あれ?オレ…労働収益型のビジネスに奔走してんじゃね?」

作業を止めれば、それに伴って、徐々にではあるが収益も落ちるのだ。

僕の根本的な価値観が変わったのはこの頃だ。このままでは、決して自分らしい人生なんて送れないと痛感したからだ。収益こそ膨らめど、自由に使える時間があまりにも無さすぎる。

また、その膨らんでいた収益も、いずれは頭打ちになるだろうことも想像に難くなかった。レバレッジの利かないビジネスの限界を悟ったのだ。

30代のうちに方向転換できたのはかなり運がよかったと思っている。



僕には、同世代の知り合いが、国内外に存在している。

でもその生き方はというと、ザックリ大きく2つに分かれている。サラリーマンをしているか、インターネットビジネスをしているか。

両者の人生を比較すると、そのあまりの違いに驚かされる。



サラリーマンをしているある友人の Twitter を見ていると、日々悲鳴のようなつぶやきが、ホームタイムライン画面に流れる。

「今日は朝6時に起きて出勤。眠い」

「23時。まだ職場から帰れない」

「最近子供の寝顔しか見ていない」

「ついに14連勤突破です」

「ここ一週間、仕事以外の記憶がない」

彼には小さな子供がいるのだが、育児に関わる時間も子供と遊ぶ時間もほぼゼロだとか。休日は疲れ果てていて、ほとんどを寝て過ごしているようだ。ツイートもほとんどが、仕事に対する愚痴で占められている。



さらに別の友人の話だが、彼も結婚していて家族もいるのだが、仕事の都合で地方へ単身赴任中だ。

週末になると帰ってきて家族と触れ合うことはできるようだが、日曜日の昼には電車に乗って一人寂しく単身のマンションへと帰ってしまわなければならない。

このあと地元勤務に戻れるのは3年後だとか。とはいっても、そのあとも数年おきには地方へと派遣をされるそうなので、その度に家族は引き裂かれることになるわけだが。



それから、外食産業勤務の別の友人の話。

彼には10歳くらいの息子がいる。偶然彼と顔を合わせる機会があり、その時に子供の運動会の話題になったので

「やっぱ学校行事って子供の成長を実感できるっしょ?」

と僕が聞くと、

「いやいや土日は休めないよ。そんな非常識なことできないって」

と、さも当たり前のことのように、彼は笑いながら即答した。

運動会当日も相変わらず朝から晩まで彼は仕事をしている。



彼らはそれが特別異常なことだとはまったくもって思ってなどいない。愚痴は言いつつも、それが社会人として当たり前のことだと思っている。



他方、インターネットビジネスの世界で生きている知り合いたちのほうは、まるで違う世界を生きている。

ネットショップをやっている若い知人がいるのだが、彼は28歳のときに家族をつれて、税金安のシンガポールに移住した。ネット環境があれば仕事が可能だから、彼には特定の職場は存在しない。

彼の Facebook のタイムラインは、小さな子供と奥さんを連れた世界旅行の写真で埋まっている。

子供が学校に通う年齢になるまではそんな生活を続けるのだそう。それまでは、子供にできるだけ広い世界を見せてあげたいのだとか。



そして次に、子育てに関して強いこだわりを持つ起業家の知人。

といっても彼にはまだ子供はいないのだが、それなりのこだわりがあるのだという。

35歳で子供を作り、40歳になるまでの数年間は一切の仕事を停止し、24時間ずっと子供と一緒にいられる態勢を作るとか。0歳〜5歳頃までが、子供の人格形成にとって、最も重要なんだそうだ。その時期に、親が子供とどれくらい一緒に居られるかが本当に大事なんだと。

住居も最も教育に適した土地に建てて、子供のための体育館的なスペースを作り、学校には通わせず、最高の家庭教師を雇って教育し、子供と奥さんと世界中を巡る予定だそうだ。



それから、アフィリエイトで生活しているおしどり夫婦がいる。

2人は基本的に、毎日24時間夫婦一緒に過ごしている。気が向いたときに2人でふらりと旅行やドライブに出かけているようだ。

そればかりか、一緒に趣味の音楽を楽しんだり、美味しいつけ麺めぐりの旅をしたり、ライブやイベントに出かけたりと、夫婦仲もすごく良好だ。

恐らく子供ができたら、今度は家族で常に一緒に行動するのだろう。



そして最後に紹介するのは、自分の好きなことを仕事にしてしまった知人だ。

彼はファッションが大好きで、その分野を仕事にして生きている。パーソナルスタイリスト的な仕事らしい。インターネットで集客して、個人にあったコーディネイトをアドバイスするのだとか。一緒に店に行って服を購入して、一緒にコーディネイトを考えるようなイメージで。

高単価サービスなので、少ないクライアントでも売上がどんどん上がるのだそうだ。というか、固定客やリピーターがたくさんいて、すでに集客すら必要ない状態だとか。

毎日好きなことをやっていたら勝手にお金が入ってくるので、ストレスフリーだと言っている。自分のことを「世界一幸せな30代だ」と、満面の笑みを浮かべて話してくれた。



インターネットビジネスの世界では、こういった生活が当たり前なのだ。大切な人と人生の多くの時間を過ごすといった生き方だ。家族や友人と過ごす時間より、上司や同僚と過ごす時間の方が長いだなんて、そんなのはどう考えても異常だという共通認識がある。

大切な人と同じ時間を過ごせないのが当たり前の世界。

大切な人と常に一緒にいられるのが当たり前の世界。

この日本にはどちらの世界も存在している。

あなたは果たしてどちらの世界を選びたいだろう?



学生を卒業したら、サラリーマンの世界を選ぶかビジネスの世界を選ぶかで、その後にやってくるライフスタイルがある程度決まると言えるだろう。

サラリーマンの世界を選べば、少なくとも白髪になるまでは、家族や趣味よりも仕事を優先する人生が確定する。極端に言えば、自分の人生の一部である時間と労働力を会社に売り払うことで成り立ってしまうような職業なのだ。

他方、ビジネスの世界では、売るのは自分の人生ではない。自分自身から切り離したビジネスを所有することで、自分の分身となる『商品』を売ることができる。その利益が生活費を上回り、さらに自動化を施せば、虹色ライフを構築できてしまう。必然的に、付き合う人を含め人生の大部分を自分自身で選択可能になる。30代や40代で、仕事よりも家族や趣味を優先するような人生を選択しても、まったく何の問題もない。

さらにいうと、インターネットビジネスは場所の制限もないので、好きな人たちと好きな場所で多くの時間を過ごすのは、ごくごく自然な当たり前の日常だ。



サラリーマンとして頑張っている多くの人たちは「家族のため」なんてセリフをよく言う。家族のために一生懸命早起きして、時間をかけて通勤して、ノルマをこなすために必死に会社で働いて、上司に叱られて頭を下げ、遅くまで残業をしているのだと。

しかし、僕には彼らが重大な問題から目を背けているように見えて仕方がない。



そんなに家族が大切なら、どうしてサラリーマンなんて平気でやっているのだろうか?

どうして定年まで家族より仕事が優先な状態が約束された世界なんかに、ずっと居座り続けているのだろうか?

どうして仕事より家族を優先できる世界に行こうとしないのだろうか?

どうしてインターネットビジネスを学ばないのだろうか?

どうして大切なはずの家族を放り出して、仕事ばかりしているのだろうか?

どうしてそんな状況を当たり前にしていながら「家族のため」などと、恥ずかしげもなくのたまうことができるのだろうか?



自分には才能がない?

いやいやそれは大きな勘違いだ。インターネットビジネスで成功するかどうかは、頭の良さとか才能の問題ではない。

1万円の商品が1日3個売れる仕組みを作れば、自由な人生は手に入ってしまう。それは天才的な頭脳・才能に頼らなくても十分作れてしまう。正しい方法さえ知っていれば、あとは努力と実践次第だ。

事実、僕は社会人経験すらない元プロボクサー。才能がないとか、時間がないとか、そんなのは全部言い訳に過ぎない。



結局のところ、個人の選択の問題なのだと思う。自由に繋がっている道を選ぶかどうかという選択の問題だ。

ゴールに到達するスピードは確かに人それぞれだろう。でもいずれ虹色ライフを手に入れることはできる。正しい方向へ歩み続けることで実現可能なのだ。

大切な人と同じ時間を過ごせないのが当たり前の人生。

大切な人と常に一緒にいられるのが当たり前の人生。

あなたは一体どちらを選ぶだろうか?



その仕事をしていなければ生きる意味を見出だせないような、仕事を人生の生き甲斐にしている人も、世の中には少なからずある一定数存在する。以前の僕もそうだが、例えばプロアスリートのように、その競技に自分の全てを懸けて生きているような人種がまさにそう。

そのような人たちであれば、プライベートも含めて、その競技に自分の全てを捧げるような生き方は凄く腑に落ちる。



しかしそのような例外を除いた世の大半の人たちは、生活のために仕事をこなして生きているのではないだろうか。つまり、本来はプライベートを充実させるために仕事に就いているはずなのだ。

しかしながら、日本人の大半は、仕事のためにプライベートを犠牲にして生きている。

子供の学校行事よりも仕事が優先。

家族とのイベントよりも仕事が優先。

恋人とのデートよりも仕事が優先。

自分の趣味よりも仕事が優先。

生活の優先順位最上位に仕事が仁王立ちではだかっている。

さらに人との約束を断る際にも仕事を理由にすれば、相手は大抵納得して受け入れてしまう。

また職場では、仮に仕事よりプライベートを優先しようものなら、上司や同僚からは最上級の冷ややかな視線を浴びせられる。

そう、日本の大半の人たちにとっては、プライベートよりも仕事を優先することは、何の疑う余地もない当然の義務だという考えが常識で、その常識に反する者は不届き千万の『非常識クズ人間』でしかないのだ。



だがここで、改めて僕は問いたい。

仕事よりもプライベートを優先させることがそんなにも非道なことなのだろうか?

受験勉強に奔走して高偏差値の大学を目指し、さらには就職戦争を勝ち抜いて高給取りのサラリーマンを夢見たのは、プライベートを充実させるためではなかったのだろうか?

僕は多くの日本人たちが、社会にとって都合の良い雇われ労働者を目指すようにと、国家レベルで洗脳させられているにように思えてならない。

この世に生まれた理由や生きる目的を考えた時に、プライベートよりも仕事を優先させるなんて、どう考えても僕は合点がいかないのだ。




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